無垢、純粋。でも成長していく。

子どもは確かに、無垢であり、純粋である。
だから、傷つきやすいし、調子にも乗りやすい。
でも、常に忘れず、頭に入れておきたいことは
「子どもは成長が早い」ということ。
子どもは大人より、何倍も早いスピードで吸収し、いろいろと感じている。
いつまでも無垢ではなく、いつでも純粋ではない。
子どもにだって、子どもの事情がある。
「子どもだから・・・」と言って子どもの気持ちを軽視してはならない。
子どもの気持ち、子どもの考えも尊重して大人の考え、気持ちを伝えてほしい。
子どもはいつまでも子どもではない。

工夫して登校

保護者による「朝の旗振り運動」の期間が終わった。
旗振りが終わったからと言って「危険な交差点」が「安全な交差点」に変わるわけではない。
私は毎朝、「危険な交差点」で子どもたちを送る。

慣れから来る登校班の乱れ。

朝から注意はするが、きつく注意するほどでもない。
この整列して登校ということに若干の違和感があるからだ。
「軍事教育」の名残のような・・・

楽しく行ければいいんじゃないか。

私の思いの根底がここにある。
でも、集団登校はもちろん、決まりごとだし、登校班も一列登校でこそ、
効果を発揮するのだろう。

そういえば、今朝は6年生の班長が1年生と手をつないで登校する光景を
見かけた。
どうやら、1年生がまっすぐ歩いてくれないようだ。
いっしょに登校して10日間が過ぎ、6年生の編み出したアイディアなんだろう。

褒めて称えたい。

子どもに限らず、大人も人間は創意工夫の生き物。創造性があるのだ。
創意工夫していろいろなことにチャレンジしてほしい。

学校まで歩く力

「やっくん、どうにかして~」

と”相談”を受けたのは、今週始め。
どうやら、1年生の歩く速度が遅いようだ。

1年生だから、しょうがないだろう。と思っていたが、みていると、異常に遅い。
「足」が「足」になっていない。

歩いているのか、ずっているのか。

「もう少し、早く歩いてみようか。」

「今日から班長さん、少しスピードが上がりますー」

「イチ、ニー、イチ、ニー」

いろいろな掛け声をかけても効果ゼロ。
よく笑ってくれるのが、救いか。

この1週間、注意してみて分かったことがある。

脚力がないのだ。

学校まで通うために歩く力というものが、備わっていないのだ。

この子は保育園育ち。
朝早く、自転車に乗せられ、通園していた。
公園で走り回って遊ぶ姿は見かけたことがない。
家族で車で出かけて帰ってくることは、しばしば、見かけていた。

このマンションまで駅からも、10分では着かない10~15分という実に微妙な距離にある。
幼少期に歩いていないことで、学校まで歩く力がないなんて・・・

まぁ、子供の成長は早い。
こればかりは慣れて養うしかない。
とここは開き直るしかない。
班長始め、班員には迷惑がかかるだろうが、この時間はみんな、

我慢や忍耐を学ぶ時間と思え!

これがやっくんが「冷たいー」「厳しいー」とも言われる所以か(笑)

これも家庭教育

「いってきます。」と「いってらっしゃい。」
「ただいま。」と「おかえり。」
これはセットであると私は考えている。

これが言いながら仕事ができる。
それが在宅ワークの最大のメリットとも思う。

このセットの挨拶は何も子育て奮闘中のときだけではない。
大人同士でも使う挨拶だ。

家族間で挨拶がある。
当然のことと思って育ってきたが、実は違うかもしれないと
最近、いろいろな子供たち、いろいろな家庭をみて感じる。

「おはよう。」「こんにちは。」「こんばんは。」「おやすみなさい。」
これらは単独でも成り立つ挨拶だが、一人暮らしなら、家のなかでは、
わざわざは言わない単語かもしれない。
そのうち、習慣化していた挨拶は口にしないから、忘れていく。

こうした「あいさつミニュケーション」から会話は始まる。
さらに言うならば、コミュニーションは始まるのである。

ビジネスマナーだとか、そういう難しい話をしているのではない。
人が人として生きていくためには、まず、これが必要でこれは学校で
教えてもらうことではない。

家庭で生活していくなかで、自然と身につけ、習慣化していくものなのだ。

カッコつけて言うならば、これも家庭教育なのである。

これが家庭教育です。

道端でサッカーボールで遊ぶ中学生たち。
住宅街とは言え、路地で遊べた時代ははるか昔の話。
今は公園も整備され、路地や駐車場で遊ぶ時代ではない。

「遊びときは遊ぶ場所で。」

これが原理原則であり、社会的マナーである。

「あぶないよー!」

と私は注意しながら、自転車で通過する。

「うざい。」

煙たがられる可能性もある。
でも、彼らは実はなぜ、路地で遊んでは行けないのか、分からないのだ。
だから、路地で遊んでしまうのだ。

道路は車や歩行者が通る場所である。
=危険な場所である。

これは学校が教える教育ではない。
家庭教育であり、地域教育なのだ。